「自分の子育ては間違っていないかどうか」を気にしてばかりいる親たち【西岡正樹】
「子どもを育てる」を再考する
◾️「作業療法士になり、二人の子の母となった娘」が語ったこと
作業療法士となり、また二人の子の母となった娘は、当時のことを振り返ってこんなことを話してくれた。「自分が親となってみて、果たして、自分の両親が自分にやってくれたことを自分ができるかなと思っている」と。また、「何をやるにしても最後に決めたのは自分だった。その時お父さんはいつも頑張れと言い続けてくれたし、お母さんも初めは反対していても納得してくれたら誰よりもサポートしてくれた。また、私が泣いても、きついって言っても、二人は絶対に『やめてもいいよ』って言わなかった。それもあったかな、自分が続けられたのは」と。
長い間教育現場にいた私は、今、「子育て」や「教育」をとてもシンプルに考えている。何故なら、多様化した価値観が存在する社会で、様々な情報に囲まれながら子どもも大人も非常に動き辛くなっているように感じているからだ。親や教師は子どもと真正面から向き合い、自分の思いや考えをきちんと示さなければならない。子どもはそれを受け取った上で、自分で考え、判断し行動していく。それは簡単なようで簡単ではない。しかしながら子どもは、常に自分の責任として行動することになるのだ。(※主権者)
幼児期からそれを習慣化することで、子どもは「自分の行動は自分の責任だ」と自覚するようになる。だから親や教師の思うような結果にならなくても、それを親の責任問題(自己責任)あるいは教師の責任問題(他者責任)にしてはいけない。なぜなら、前述したように子どもの成長は親や教師との関わりだけですべてが決まってくるわけではないからだ。社会環境、経済環境、家庭環境、学校環境、地域との関わり、友だち関係など様々な影響を受けて、子どもは自分の意志で育っていくものなのだ。
子どもは一人の人格を持った存在として学び育っていく。親や教師の影響だけで子どもは育つわけではない。とはいえ、親や教師が子どもに及ぼす影響はとてつもなく大きいのも確かだ。子育ての本質を大人は再認識する必要があるだろう。
文:西岡正樹